この瞳には天使がいて
「いーよな福沢は。柏木会長にくっついてリリアンの学園祭に行けるんだろ?」
本気でなのか、冗談なのか、ぱっと見は残念そうにこぼす小林には悪いが、別にそのことはそれほど嬉しくは無かった。
リリアン女学園の学園祭に福沢祐麒は、他の花寺学院生徒ほぼ全員と同様心の底から望み、来ることが出来たというわけではない。
贅沢な悩みだと言われるだろうが、どちらかといえば気は重い。
自分なんて生徒会役員といっても末席中の末席。駄菓子のおまけくらいの意味しかないと自負している。
祐麒は暗幕で覆われた体育館の端っこで鬱の溜息を吐き出した。
鬱の理由は多い。
周りはなにせ女子女子女子これでもかの女子が談笑しあっている空間だ。自分は柏木さんほど女子の前で普段通りに振る舞えないし(あの人の"普段通り"はそれはそれで問題があるが)、平均以上の身長の(平均以上なのは身長に限ったことではないが)柏木さんと同じ制服を着ているというのが周囲の女生徒から奇異の視線を集めてしまうようで、苦々しい思いで閉口しているし、しかも当の柏木さんは山百合会の劇に王子様なんてとんでもない役で出演しやがる。
来年俺達の代に同じような役が回ってきたら呪ってやるからなあの野郎!
つまりは、祐麒の気分がどんよりとすぐれないのは全面的にあのキザな生徒会長様のおかげなのだ。ありがたすぎて吐き気がする。
そしてそればかりではなく、決定的に祐麒の頭を沈ませる事柄がある。
実の姉(この場所ではこういう言い方をしないと誤解が生じる)がその劇に参加するのいうのだ。
なんでも、複雑ななりゆきで手伝いをすることになった、とかいう納得しろと言うのが困難な理由だそうだが
どうにも思う。マリア様だかお釈迦様だかどちらの仕業か知らないが、あるいはその両方なのか、自分たち姉弟が困る様を見て喜んでいらっっしゃるんじゃなかろうかその方々は。
罰当たりなことを頭の隅っこで考えていると、ブザーが体育館に鳴り響いた。
照明が消され、辺りが真っ暗闇に包まれる。
"ただいまより山百合会による演劇、シンデレラを上演致します"
アナウンスが告げると、ステージにかかっていた幕がするすると上がっていく。
それに会わせて拍手が巻き起こる。さすがに妙に気合いの入った拍手や口笛を吹く輩はいやしない、男子校と乙女の園は当然別世界だ。
祐麒も拍手の渦に加わった。色々と思うところはあるが、一応世話になってる先輩と、実の姉の晴れ舞台だ。
がんばれ、祐巳。
心の中でそっと応援しておいた。
幕が上がりきると、舞台の中央に長い黒髪の女の人が膝をついていた。
シンデレラ役の小笠原祥子さん。赤薔薇のつぼみだ、とパンフレットで得た知識を思い返す。
あれだけの美人になると、みすぼらしい衣装もなんの負要素にもならないばかりか、むしろプラスの方向に働いてしまうものらしい。
そこでふと、もしかしなくてもあの美人とうちの狸顔の姉が並ぶ様を目の当たりにしなければならないのかと思い、憐憫の情を覚える。
気の毒だ。姉はこの弟と同じ庶民の家、庶民の生活、庶民な人生、庶民な顔、庶民な体型と庶民オンパレードな人だから。
……引き立て役としては逸材かもしれない。
「シンデレラ」
高飛車というよりは、幼い子供が近所の高慢ちきなおばさんの声真似をしたような、そんな響きで聞き慣れた声がした。
舞台には新しい姿が三人。うち、最前列で精一杯尊大な顔をひきつりながら作っているのは、紛れもなく自分の姉。
“私たちはこれからお城の舞踏会に行って来るから、掃除と洗濯と草むしり忘れないでよ"という定番のセリフしか念頭に置いていなかった祐麒には、舞踏会に着ていく服はどれがいいかなどと継母と姉二人が語らっているのは斬新だ。
斬新なのはいいのだが、と祐麒は舞台上の四人を見た。見て、姉を余計に不憫に思った。
祐巳と一緒に登場した二人も相当に華々しい雰囲気を纏っている。黄薔薇様である三年生の鳥居江利子さんと、黄薔薇のつぼみの妹の島津由乃さん。三年生の存在感が大きいのは推して知れるが、祐巳と同級生のはずの島津さんがあれだけ落ち着いた風格を纏わせているということは、場数とかそういったものだけで華々しさが決まるというわけではないらしい。先天的という単語を持ち出してきてしまうと身も蓋もなくなるが。
でもまあ、どこかに身内の贔屓目なんてものがあるのか、祐麒の目に映る祐巳の演技は、そりゃ意地悪な姉役とはほど遠い代物だけれど、ほのぼのしていてこれはこれでいいんじゃないかと思う。
たぶんそれは、拙いながらも一生懸命さが伝わってくるからなのだ。
そんな風に思うのはもしかすると自分だけなのかもしれないけれど。
いつしか祐麒は舞台の上で進んでいく劇の中で、さして出番の多くはない姉Bを、彼女のそのひたむきな演技を、追うようになっていた。
いつも見ている顔のはずなのに、今日の姉の姿を目に焼き付けておきたいと思う自分がいた。
笑いの種にしてやろう、とかそういう感情は全く起きて来なかった。
心の底から姉の演技を見守り、フィナーレでは盛大に拍手をした。
どうにかやりきった、そんな表情を浮かべていた祐巳の殊勲を讃えて。
その日を境に、福沢祐巳は、赤薔薇のつぼみの妹になった。
燦然と輝くロザリオは神々しい白銀で
それを首からかけた姉は、控えめに、けれど満ち足りた笑顔だった。
「一番好きな人の妹になれたんだ」
誇らしげに、少し気恥ずかしそうに、姉は言った。
自分は「良かったな」とありきたりな言葉しか思い浮かばなかったし、言えなかった。
その時の祐巳の嬉しさを形容出来る言葉は、きっとどこにもありはしない。
「うん」
屈託なく笑んだ彼女の顔を見ていると、そう思えた。
二年生になってから、祐麒は自分が去年の山百合会の劇を見ていたのだという旨を、初めて祐巳に話した。
驚きつつも姉は、自分の演技は見るに耐えないものだっただろう、というような事を言ったので、祐麒は可愛いらしくて憎めなかった、などとまたしてもありきたりな言葉でその場を繕った。
本当のところなど、恥ずかしすぎて言えたものではないから。
一瞬、ほんの一瞬だけ、舞台に天使がいたように見えた、なんて。
【
あとがき
】
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