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星々が私を見下ろし、鉄の群が夜空を切り刻む中、
青白い月を、私はふと見上げた。
それは、もしかしたら理性ある行動だったかもしれない。
〜彼女達の夜・弓塚さつき(訣別)
私を俯瞰する鉄の群は、語る口を持たない。
無機の佇まいを貫き通したまま、星に挑むように聳え、闇色の大地へと更に色濃い影を落とす。
私は影に染まっていた。
私はその黒による支配を好ましく思っていた。
黒は混沌の色。
黒は静寂の色。
その矛盾した無比の色を、私は好ましく思っていた。
静まり返った黒の世界で、私は唐突に衝動にかられた。
風も吹かない静寂の中で、ひとりきりの孤独の中で、何故そう思ったのかはわからない。
私はただ、なんの理由もなく、踊ってみたくなったのだ。
黒の世界から抜け出した。
軽やかに、春空を舞う蝶のように。
月の光が身に降り注ぐ。
影に抱かれるのは心地よい、けれど、この蒼い光に身を任せてみるのも悪くはないものだ。
一礼。
虚空という名の観衆へ向けて、私はついと頭を垂れた。
指で、爪先で、大気を撫でるようにゆったりと動いてはみるものの、それは舞踏と呼べるものではない。
優雅とはほど遠く、滑らかさの欠片も無い、無粋な動き。
それでも、目を閉じ自らの体が生み出す風を受けながらのそれに、私は一時高貴な幻想を抱くことも出来た。
自我の思うままに、月の照らす下で、私は属さない舞を舞う。
絹を紡ぐ繊細さ、燃え立つかの如き豪放さ、観衆が寡黙であるのをいいことに、私の幻想の中で舞は昇華し続けた。
その実、華麗と称される舞に不可欠ないずれの要素も、そこには無く
私の舞う様は、とても自由で、ひどく勝手だった。
跳び
飛び
翔ぼうとして、無論、地に墜ちる。
頑なな大地は冷たく、すがるには無愛想すぎる。
果てない夜空は遠大すぎて
だから、私を赦してくれるのは、わずかばかりの闇の溜まり。
それだけ
たったそれだけが私の居場所。
時たま、温もりを欲しがったとしても、闇がそんな不純を認めよう筈もない。
私は闇を生きる。
私は光を求める。
黒の支配を好ましく思ったのは、同様に私も矛盾の渦中に溺れるからだ。
唐突に始まった舞踏らしきものは、始まり以上に唐突に終演を迎えた。
こみ上げてきたものが多すぎて、目蓋から溢れて外を求めるそれらを、抑えるのに必死で、他に回す余地は無い。
どうしてか 疑問を投げかける相手もいない。
いつからか 吐露を漱いでくれる誰かはいない。
自分がこんなにも外れてしまったのは一体なぜ?
今を、
拙く脆く儚く生きる、自分の今を、嘆いて
すがるまいと思っていた地に這い、濡れた声で虚空を裂いた。
涙を流したせいか、体の奥底が渇きに唸る。
潤す為に、人のいる場所へ向かおうと体を起こす。
物音と、気配がした。
緊張を高めなくてはならない筈だが、私の細胞は愚鈍な反応しか示さない。
なぜなら、その物音と気配が、とてもわざとらしいものに感じたからだ。
「………誰?」
気配のした方を向き、呟く。
姿は見あたらない。
気配は、悠然とそこに佇み、私に焦燥を高ぶらせる
「誰なの」
今度は強く、殺意を込めて、無人に思える闇に吠えた。
と
「俺だよ」
闇が揺らぎ、輪郭が中から際立ち始めた。
その、投げかけられた声が、何故だかとてつもなく懐かしく思えた。
「誰?」
三度目の言葉は懇願に近かった。
理解不能な既聴感と、ぼやけてよく見えない姿に気味が悪くなった。
苛立ちと焦燥がこみ上げる。たまらずに闇へと駆け出す。
岩をも砕く一撃を繰り出し、だがそれは威嚇だ。握り込められた拳は冷たい地面を穿ち、暴虐の跡を刻んだ。
「誰なのか、答えて」
低く、獣を思わせる声で闇に吠えた。
紺雲から顔を覗かせた月が、闇の中の気配の主を照らす。
瞳に映った、その顔を見てもさほど驚きはしなかったの。半分以上は予測がついていたから。その声を聞いた時に、もはや確信に限りなく近く知っていたから。忘れるわけが、無かったから。
忘れられる筈、無かったから。
「弓塚」
忘れようと願った時もあった。
「俺、あのさ………」
自分を騙そうと苦悶した夜もあった。
「………お前を」
幻想にすぎない幸福ならば、消えてなくなってしまえ、と
出来なかった。
出来なかったからここにいる。
出来なかったから生きている。
出来なかったから、こうなった。
「遠野君」
ぽつりと、名前を呼ぶと。彼は怯えたように肩を震わせた。
駄目だよ………そんなんじゃ………
彼は俯いている。彼は黙っている。彼は戸惑っている。彼は迷っている。彼は、
月光を跳ね返す短刀を、握りしめている。
「………………俺は」
絞るような声。いい声だな、相変わらずだ。
「俺は………………」
泣き出しそうなその表情も、相変わらずだ。
「………………………俺」
その、弱さも。
「私を、殺しに来たんでしょ?」
曇った表情が、愕然としたようにぎこちなくこちらを向く。
瞳はうっすらと濡れている。
ああ、泣いてくれるんだ。
私を殺すことを、躊躇してくれるんだ。
それを見て、なにか、自嘲気味な笑いが奥底からこみあげてきた。
殺人貴が、憐憫か。
それは、笑わずにはいられない。
「覚悟出来ないの?私は出来たよ」
言うと、彼はきっ、と瞳に力を込めた。
「出来るわけ………ないだろ………殺したくなんか、無いんだ」
振り絞った声は、迷いだらけだ。
なにか、その様が、滑稽に見えてしまう自分は、どこかおかしいのだろうか。
けれど、可笑しいものは可笑しいのだから仕方がない。
「あはっ、あははははははは!」
堪えきれなくなって、闇色の天幕に哄笑を向かわせた。
「弓、塚………?」
気にかけるような仕草はやめて。
私に偽善の押し売りをしないで。
今更、
今ここで迷うんだったら、どうしてあの時。
私を、憐れむのはやめて。
もう、戻れはしないのだから。
「弓塚………」
殺し屋が、そんな情けない顔をしないで………!
「自惚れないで」
私の耳も震え上がるような、冷たく、鋭利な声だった。
「本気で来たって、殺されてなんかやらないよ。綻びだらけの殺人貴なんかに」
「弓塚」
「迷っているならなんでここに来たの。私を殺す覚悟を決めてきたんじゃないの?話してみればどうにかなるって?馬鹿にしないで。私は、遠野君の知っている弓塚さつきじゃ無い、自分の意見も言えなくて、人の顔色ばかり伺っていた、臆病で矮小な私はもういないの。私は、吸血鬼になったんだから」
口許から牙を覗かせ、自分の指をひとつひとつ舐め上げて、灼熱めいた色彩を瞳に灯らせて、狂ったように笑ってみせる。
天に、掌を挑ませる。
「綺麗でしょう?」
薄く笑み、囁くように言った。
「私の指、私の手、私の腕、私の体、私の足、私の顔、私の全て、綺麗でしょう?殺人貴さん」
「………………」
「私を見てどう思う?私が今あなたのことをどう思っていると思う?」
「………………………」
「言わないと分からない?はっきり、言ってあげないとわからないのかな?」
「………………………………」
「じゃあ、言ってあげる」
とびきり歪んだ笑顔で一言。
「私は、あなたを殺したい!」
手に入れることが叶わないなら、せめて、この手で壊してしまおう。
そうすれば、彼に永遠に「私」を刻み付けることが出切る。
後ろを振り向いても道なんてありはしない、だから、前へと奔った。
狂気に満ちた凶器と化して。
―――――月下、二つの刃が交錯する。
飢えた獣じみた咆哮で己を鎧い、朱に染まる髪を左右に振り乱し、少女が宙を舞い、地を奔り、大地を蹂躙する。
その猛攻を一振りの短刀のみで捌く相手もまた、少年だ。
常なら柔和な笑みを始終浮かべていそうなその端正な横顔には、明確な苦悶が浮かんでいる。衣服の所々は千切れて肌を露見させ、頬にも切り傷が見受けられる。
この状況を、少年の苦戦と断じてしまうのは、けれど早計すぎる。
少女の敏捷さは、それこそ風をも肩を並べねばならない程の、まさに目にも止まらぬ速さ。しかし少年はそれに更なる速さで対抗するわけでもなく、ひたすらに逃げを打つわけでもない。
彼は、その場に静止し、彼女の攻撃を寸手のところでいなし続けているのだ。
それも一度や二度なら偶然と呼べるだろう。けれど少女の攻撃はとうに百を越えた。
それでも尚、少年は四肢に軽傷を負いながらも大地を踏みしめ、眼差しを光らせている。
おそらくは一度あるかないかの好機に己が全てを賭けるための、布石。
その砂粒ほどの可能性に、命と意思を賭すことのできる、彼は、強者だった。
少女はといえば、自分が幾度となく見舞う一撃一撃の焦点を悉く外され、当然の如くいきり立っていた。少年を軽んじていたつもりはない、しかしそれでもせいぜいが数瞬かそこらで決着はつくものだと頭では考えていた。
だが、どうだ。
力と速度にモノを言わせて、当たりさえすれば即死というだけの一撃を数えるのも飽くるほどに繰り返しているのに、一度たりとも致命傷を与えられない。
急所を狙うことを看破されているのかと考え、とにかく体のどこかを潰してしまおうというがむしゃらな攻撃策に変えてもまだ、手ごたえはない。
ことこの戦闘に於いて、少女は自分は疲労という言葉とは縁がないと思っていた。
相対的に、吸血鬼である自分と生身の人間でしかない彼では体力差は比べるべくもないし、彼は元来持久力に大きく欠ける。
長期戦に持ち込めば、不利なのはむしろ向こうに決まっているのに、彼は防御を崩さない。時折少女が見せる隙にも気づいている筈なのに、無論それは誘い罠ではあったけれど。
――――――すごい
少女はあまりの高揚に跳ね回って喜びたくなった。
少年のことを軽んじているつもりはない、などとどの口が言えたものか。
自分は、彼の底を見誤っていた。
自分の見えていた底など、錯覚にすぎなかったのだ。
そうとも、こうこなくては面白くない。
彼女は唇を歪ませた。
自分が惚れた「殺し」があんな浅いわけはなかったのだ。
身を焦がして欲した、彼の「殺し」の腕が、自分の考えていたような稚拙なものでは興ざめだ。
如何に自分が、規格外な存在だと云われようと、そもそも「規格」などというせせこましい概念と比較する時点で誤りなのだ。
彼は、遠野志貴は、自分ごときでは永遠にその底を、奥底を垣間見ることすら叶わない、最上級の怪物だ。
あらゆるモノに「死」を与えうるだけの最高級の器だ。
だが、
それはつまり、
今はまだ、
そこに届いてはいないということ。
果てしない可能性を内包していようとも、到達すべきところに辿り着いていないのならば、まだ、脅威と呼ぶには脆弱すぎる。
少女とて、少年に遠く及ばずとも非凡の才を備えた者である。その彼女にとって、少年が見せたその隙はあまりに致命的すぎた。
躊躇うことなく、鋼の硬さと鋭さを持った一撃を突き出した。
少年の反応速度を上回る勢いで彼の右胸に深々と突き刺さった手刀の先で、骨がじゃりという神経に直接響くような音を立てた。
刹那、少女は笑った。
それは無邪気すぎる笑みで、それは無慈悲すぎる笑みだった。
ぬらぬらと赤く光る唇の合間に歯の切っ先を覗かせて、指先から全身に伝わりゆく手応えに、思わず歓喜の震えが背に奔る。
手応えはすぐに確信へと変わり、確信は歓びに昇華する。
少女は思う。自分という器は、確かに彼と比べるべくもなく小さなものかもしれない。しかし今は違う。遠くない未来、私は彼の足元にも及ばなくなるかもしれない。
けれど今、自分は勝利した。
未来など問題ではない、重要なのは今なのだ。十秒後には自分の実力を彼が上回っていたとしても、その十秒後はもはやありえない。
だって彼は今ここで終わるのだから。
――――――今、楽にしてあげる!!
少女は左腕を高々と振り上げる。
月を背にし、今まさに獲物に襲いかかろうとする猛禽を思わせて、岩をも砕く一撃が、少年の胸元に振り下ろされる。
だが、その手が宙にぴたりと止まる。
まるで糸で吊られた人形のように、そこに意思は存在していないように見える。
歓喜すら含んでいた少女の表情には、今やその名残すらない。
少女が丹田に痛みを自覚し、そこから生える短刀の柄を視認してようやく、
彼女は、己の愚かさを知った。
自分は何故、笑いなど浮かべたのか。
一瞬でも、勝利を確信したのはどうしてか。
勝てるわけなんかなかったのに。
解っていたのに。
………死にたくないな。
………………ああ、もう死んでるんだっけ………。
どさ、と音がして、倒れた私の体を地が受け止める。
冷たいけれど、心地よい。
「ゆ、み………塚………………」
霞む視界の端、今にも息絶えそうな声と共にその姿が映り込む。
立っているのが不思議なくらい、彼の全身は血塗れだった。上辺の傷だけを見れば絶対に私の方が軽傷だ。
彼は何を想いながら、血が止めどなく流れる胸の傷を抑え、震える足でなお立ち尽くすのか。
呟きにどんなを言葉を返して欲しいのだろうか。
求めないで欲しい。
懺悔するような目つきで私を見るのはやめて欲しい。
少なくとも私は、覚悟を持ってこの夜を生き抜こうとしたのだから。結果、敗れはしたけれど、後悔などしていないのだから。
だから、そんな負け犬の目で私の前に立つな。立つのならば、勝者ならば、敗者へと向ける目には侮蔑か嘲笑が混じらなければおかしい。
――――――優しい殺人貴なんて、おかしいよ。
喉の奥に何かがぬちゃりと絡みつき、息が詰まり、咳き込んだ。
飛び散った紅い血が、私の全身に飛び散り、汚らしく色を塗す。
死に化粧には、あまりに粗雑だ。
意識に暗雲めいたものが立ちこめ、視界のピントが徐々にずれていく。もう直せない。
声だけはまだ出せそうだということに気付き、最後に何か言うべき事はないかと暗がりの脳裏を目隠しで探る。
見つからない。
なら、それでもいいんだろうな、と静かに息を引き取ることに決めた、のに
「………ぇ」
口からは吐息が漏れていた。自分にすら聞き取ることができないそれは、どうやら言葉だった。
「弓塚っ」
遠野君の呼吸が肌に感じられる。
多分触れあえるくらい近くにその顔があるのに、身体はぴくりとも動かない。
ただ口だけが、なにか私ではないものに動かされているような感じだった。
それはけれど、私が今言うべきこと、今一番言いたかったことなのだと思う。
「ねえ………知ってた?」
血混じりの咳と、灼けつくような涙と、脳の奥でごろごろとざわつく捕らえどころのない感覚に振り絞った声が邪魔される。
それでも続けた。
いや、続いた。
「私、あなたが、好きだったんだよ?」
声となって響いたその想いが、私にかつての夕焼けを、いつかの暗闇を思い出させた。
――――――ばいばい、遠野君。
そこまでは、多分言葉にならなかった。
いつしか月を覆っていた厚い雲から、ぽつり、ぽつりと冷たい雨が滴り落ち、やがて全てを洗い流してしまうような土砂降りになる。
少年は自分の胸を右手で抱きしめ、左手で黒く濡れた大地を撫でる。
冷たい。
冷たい。
さっきまでそこにいた少女はもうどこにもいない。
彼女の最期の言葉だけが、少年の脳裏にいつまでも反響し続ける。
涙が、止まらなかった。
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