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常世の橋は、何を繋ぐか――――――――
/interlude
沙条綾香は漆黒に沈んだ空を見上げた。
視界に広がるは、丸々と佇む満ちた月以外星一つ無い不気味な夜空。脳裏に感じるは、例えようのない些細な違和感。
深夜とはいえ、町が深い眠りにつく事はない。街灯は常に明かりを灯し、社会に縛られた大人は額に汗を溜め、夜更かしの若者は青春を謳歌する。耳を澄ませば、車の音が何処となく聞こえてくる、それが現代の夜。
だが、今日、平日の深夜。雨も無く、雲もない。そんな日常であるにも関わらず、世界は無音を保つように静まり返り、雲ひとつ無いはずの空には、月以外見えることは無い。
既に敵の術中に陥っているのではないか、そんな不安が綾香を包み込むが、目の前を悠然と歩くセイバーには何の変化も無い。
それが却って不気味だと言いたい。
大橋の歩道の丁度中間。深山町に向かうも、新都に向かうも、こんな目立つ場所で奇襲を受ければ、体勢を立て直すのも離脱するのも容易ではない。例えると、アーチャークラスの遠距離戦を得意とするサーヴァントに狙われでもしたら、攻撃に気付く事無く脳天を打ちぬかれて息絶える、なんて事もありえる。
そんな疑心暗鬼にも似た警戒心を剥き出しにしながら猫背で歩く綾香に対し、ほとほと呆れたと言いたげに金髪を掻き揚げながら、目の前を歩いていた赤いシャツにジーンズを穿いた男、セイバーは振り返った。
「アヤカ、君が胸に自信が無いのは分かるが、もっと胸を張って堂々と歩けないのか?」
言われ、綾香はずれた眼鏡をカチャリと正し、腕を組んでセイバーを睨みつけた。
「それ、どういう意味よ………?」
エメラルドグリーンの瞳を細め、セイバーは橋の手摺りに腕をついて眼下の川を眺めた。
「いやなに、毎度毎度歩幅を狭め、亀の如く足を前に突き出して歩かねばならない俺の身にもなってくれるとありがたいものだ」
綾香は頬を赤らめ、バンと手摺りを手で叩く。
「な、なによそれ! 男が女の歩幅に合わせて歩くのは当然よ。紳士ならみんなやってるわ。そ、それに私の胸がどうこうって事から話を逸らさないでよ!!」
ふぅ、とタメ息を吐き、セイバーは右手首に巻いたアクセサリーをいじった。
「胸のことに敏感になる点は子供だな………と言うか、胸の事は歩幅に対する皮肉………………いや、もういい」
話を切り上げ、背伸びを始めたセイバーの背中を後ろから小突き、腰に手を当てて静まり返った夜の中心で大声を出す。
「良くないわよ! ハッキリしなさい!!」
冬だというのに、火照った頬が暖かそうだ。
思わず苦笑いを浮かべ、綾香を諭そうと、何気に目を通した雑誌の情報を引き出す。
「安心しろ、アヤカ。女性の理想体型より、男性の理想体型の方がよりスレンダーを望んでいる。それに無いなら無いで、需要があると言うしな」
かちん、と何処かで硝子同士が擦れあう音がした………気がする。
「そ・れ・が、余計なお世話だって言うのよっ〜〜!! あんただって、もし女性だったらぜっっっったい胸が小さいに決まってるわ! 間違いないんだからっ」
それには本気で笑い出してしまいそうになり、必死に笑いを堪えているのが分かる。
「………………どんな例えだ。全く、君といると飽きないな」
先程まで敵襲を恐れびくびくとしていたにも関わらず、もう橋の真ん中でじたばたと駄々を捏ねる元気を取り戻している。
セイバーは再び手摺りに腕を乗せ、背後の綾香に聞こえない程度の声で呟いた。
「………いつもの調子を取り戻したな」
言葉は聞き取れずとも、風に乗って声を聞き取った綾香は、セイバーの頭の後ろから手を伸ばし、両手を使って両頬を捻った。
「何か言った? また屁理屈でしょ!」
「痛たたたた、君はもっと女の子らしくお淑やかにするべきだ」
セイバーの反論空しく、手に籠められる力は強くなる。
「煩いわねっ、あんたこそ、もっとサーヴァントらしくマスターの言う事聞きなさい!」
すると突然、痛たたたたと声を漏らしていたセイバーだが、いくら力を籠めても何の反応も無くなった。
我慢しているに違いないと、背中に乗り肩越しに首を突き出してセイバーの表情を覗き込む。
「ちょと、聞いてるのセイバーっ――――――――?」
だがセイバーの表情は、想像していたものとはちょっと違う。笑みも怒りも無く、ただ真剣な眼差しで眼下の公園に目を配らせていた。
その異常事態に背中から下り、背後に付く。
「敵?」
不安そうに尋ねたのも、眼鏡を必要とする綾香の視力では、尤も常人の視力では公園にどんな異常が眠っているのか確認できない。
朧げではあるが、人影らしきものがあるような気がする
それを察してか、説明するようにセイバーが口にする。
「男と女か………こんな真夜中に屋外で逢引とは思えんが………………ほう、こちらに気付いているな」
それを言われて、綾香は敵の死角になるようにセイバーの背後に身を隠した。
解れた緊張が再びきつく閉まる。
「ど、どうするの!? 若しやもう先手を取られているとか?」
「それはないだろう。気付いたのはほぼ同時。あちらも様子見といったところか」
あわてる綾香とは対照的に、あくまでも冷静に分析するセイバー。
敵との距離はお互いに確認が取れる程度で、攻撃の射程距離と言うわけではない。ただし、惜しみなく宝具を使えば話は変わってくるのかもしれない。
意を決したのか、一人頷き綾香に手を差し伸べる。
「行こう」
綾香は思わず差し出された手を拒絶して一歩後ろに下がった。
「えっ、大丈夫なの? あっちのクラスだって分かってないのよ?」
恐怖を抱いたわけではない。有り余る警戒心がセイバーの判断に警鐘を鳴らしたのだ。
それなのにセイバーは涼しい顔をして綾香の手を取り、自分の胸に引き寄せた。
「騎士が敵と目を合わせておきながら背中を向ける訳にはいくまい」
礼節と勇気は騎士道の基本。だから綾香は今更セイバーの信条をとやかく言う気はなかった。
最強のクラスと謳われしセイバー ――――――その記述通り、セイバーの戦闘能力は申し分ない。不安要素を強いて言うならば、それは綾香自身。己の未熟さが、セイバーの足を引っ張っている事実を、幾度かの戦闘で思い知らされている。
胸の中で微かに震える綾香を包み込み、手摺りの上に立ち上がる。
「なんだ? この俺が負けるとでも?」
直ぐ傍、鼻先が擦れるくらい近くで微笑みかけられ、亀が首を引っ込めるように蹲る。
「そ、そんな心配はしてないわよ。ただ真っ向から行くなんて………」
たとえ己に不安を抱えていたとしても、それを悟られるわけには行かない。下手に守られ、足手纏いになんて真っ平だ。
「案ずるな。あちらも白兵戦を得意としたサーヴァント………下手な小細工などありはしない」
励まそうと語り掛けるどころか、自信満々に言ってのけるセイバーに、胸の上の大きな石が軽くなった気がした。
言ってくれる。これほど頼もしいパートナーはいない。
「知ってる、相手なの?」
訊かれ、ふっ、と鼻にかけて笑う。
「目を見れば分かる」
――――ヤバイかも。
綾香は急に背筋が凍りつき、過信とも取れるパートナーの強攻に今すぐ腕の中から飛び出したかった。
だが無情にもセイバーは橋の上から飛び出し、二人の体は河川から吹き荒れる風のみ何も存在しない空中へと投げ出されていた。
「ちょ、本当に大丈夫なのーーーーーーーーっっっ」
その叫びに、セイバーは笑って返す。
当然、何の根拠も無い。
ただセイバーの笑顔を間近で眺め、なんとなく安心出来るのも事実。
不覚にも、セイバーと二人なら冬の冷たい風でも心地良いそよ風に感じることが出来た。これからの不安だって、何の問題もなく乗り越える事ができる。
当然、何の根拠も無い。
死闘の真っ只中にありながら………ほんの少しでも、笑って駆け抜けられる余裕が心の隅で生まれた。
誰だって、楽しい未来を想像した方が気も楽だし幸せだ。
それは決して現実逃避ではなく、それは決してお姫様抱っこをしてもらっているから、お姫様気分で自惚れている訳ではない。
セイバーに抱き抱えられながら、沙条綾香は漆黒に沈んだ空を見上げた。
不安も無い。
それはいつもと変わらぬ風景。だが綾香は気付いていない。常世を崩す、異形の姿に。
唯一つ、夜空に浮かぶ月が、寄り添う双子のように二つ存在している事に………………
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